その日は朝から生憎の雨であった。
湧き上がる雨の匂い、汗が蒸発できずに体を包み込むのを感じる。
私はしがないジャーナリストである。
毎日、情報を右から左へ加工させながら流通する仕事である。
そんな私のちょっとした楽しみは、世界の仕組みについて思いを馳せることだった。
何のことはない。無難な知的ゲームに過ぎない。
今日のこともちょっとした遊びのつもりだった。
自分がつくった論壇系のホームページ。 そこでお金の動きから世界がどのように動くのかを
予想して発表するだけのささやかなものだ。
掲示板で常連の一人と会うことに決まり、ちょっとしたオフ会のつもりであった。
携帯電話での確認作業を経て、本人と会うだけのものだ。
待ち合わせ場所の喫茶店に足を向ける。
30過ぎの私には少し若すぎるインテリアの店であった。
待ち合わせの場所にいたのは、なんと女の子だった。 まだ高校生くらいのうら若き乙女である。
丸顔で、それといって特徴がないことが特徴のように思えた。
彼女とは掲示板でいろいろと意見を交換していたが、その論説や理論の組み立て方はまるで
男性のものだったからちょっとした驚きであった。
もっともネットにおけるオフ会など往々にしてそんな感じである。
私の友人は、まるで女性のような文体のブログを運営しているし、彼女もまたそういう人種なのだろう。
深くは追求すまい。
彼女は自分の自己紹介もあくまでハンドルネームだった。
私は30過ぎの男だし、本名まで聞こうなんてそこまで期待するのは無駄だ。
彼女のプライベートの話はあっという間にはぐらかされ、
今の掲示板で議論になっている話に移った。
それは米帝のアポロ計画である。
最近、月着陸が嘘ではないかというテレビの特集が組まれているが
実はこれには理由があった。
米帝のアポロ計画にかかる費用は当時のお金で約300億ドル、現代のお金に換算すれば
およそ13兆円をかけた計算になる。
当時、米帝は東南アジアに多数の軍を向けており、その膨大な戦費拠出に苦しんでいた。
それにも関わらず、これだけの金を宇宙開発に注ぎ込めたのには何故だろうか。
宇宙開発を支えたスポンサーがいないと難しいはずだが、これだけの金を提供できるとなれば
自ずとスポンサー候補は絞られてくる。
もちろんアポロ計画は虚構ではない。
もし旧ソ連がそれをキャッチすれば、米帝の権威失墜を狙いアポロ計画の虚構を暴露するに
違いないからだ。 もし旧ソ連も同じように宇宙開発をねつ造していたとしても
その時は、米帝の腰巾着である我が国のマスコミがなにかしらの工作をしてくるはずである。
一説では米帝のウォール街が出資したというが、私はそんな陰謀論に与する気はない。
彼女はあくまで自分の見解として、国家の枠組みを超えたひとつの財団がお金を出したという
仮説を述べていた。 実に高校生らしい空想に満ちた見解である。
と同時に彼女にちょっとした失望感もあった。論理的な思考能力を持つ彼女がこうも陰謀論に
走ってしまうのかは理解できなかった。
だが、彼女の言説はそこで終わらなかった。
彼女はバックからホームページを印刷したものを見せてくれた。
それはただの商社であったが、一つ疑問があった。事業規模と資本金が折り合わない。
そして最大の疑問は、極端に取り扱い範囲が広すぎることだった。
食料品や住宅設備など一般的な商社ならある程度の絞り込みがあるのだが
この会社は手広くやり過ぎている。 よく見れば鉄鋼や燃料にも手を出している。
このような企業が存在することを私は知らなかった。
それがあまりに不自然であることは間違いない。
彼女はこの会社が米帝に資本を送り込んだ手先だと主張した。
ばかばかしい話だ。 確かにこの企業は興味深いが、傍目から見れば普通の会社である。
すると彼女は切り札とばかりに入金記録らしい書類を見せた。
シュレッダーで粉砕されたものを丹念に貼り合わせたものだ。
いったいどこで入手したものであろうか。
そこにはケイマン諸島の銀行からこの会社で融資がされているとあった。
ケイマン諸島といえばタックスヘイブンで有名なところだ。
多くの政治家がそこにペーパーカンパニーをつくり裏金を預金している。
普通一般の企業がそんな銀行と取引できるわけがない。
確かに普通の企業ではないことはわかった。
気がつくと彼女がしきりに時計を気にしていた。
送ろうかと提案したが、自分で帰ると言う。
たしかに年端のいかない女性と一緒に歩いたら世間からまともな目で見られない。
「申し訳ございません」言ってと会釈する彼女を見送り、一人残された私は思案に耽った。
最近こうした怪文書が出回ることが多いが、コンピューターによるレタッチで
ねつ造された文章も数多い。
私は入金記録を精読してみたが、一般企業が扱うには桁が一個違う。
そんなお金が動かせる会社ならもうとっくにマスコミどもに嗅ぎつけられている。
おおよそ好奇心あふれる少女がガセネタを掴まされたってところだろう。
こういう話はよくあることだ。
彼女はおそらく自分が思い描く陰謀論に酔っているのだろう。
そして私のようなジャーナリストに取り上げてほしいと送ってくることも結構ある。
とりあえず差し出された資料をバックにしまって帰路につくことにした。
−
少女はそそくさと路地に潜り込んだ。
目的は果たした。 あとは帰路につくだけである。
だが彼女の額にひやりとした感覚が飛び込んできた
目の前に白いコートを羽織ったサングラス男がいた。
額に銃口を向けていた。
「避けてみな」
サイレンサーに遮られた音と男の言葉は同時だった。
少女の頭が大きく後ろに反り返り吹き飛んでいった。
少女の倒れた先に血飛沫も脳漿もなかった。
少女もまた雨にとけ込むようにそのまま跡形もなく消えた。
男はその様子を見守ったあと何事もなかったように大通りへと出た。
携帯電話で何かと会話しながらそのまま雑踏の中に消えた。
「ウサギを一匹 冥界送りにした」