霊能局に位置する休憩ロビー。
ソファに腰掛けながら黄昏酒場の有江ルミは懐から取り出した煙草を吹かしていた。
月兎を捕らえて数日が経過したが、月側からの動きは一切ない。
本来ならありとあらゆる手段を用いて救助または襲撃があってもおかしくない。
あの日以来、月兎の襲撃に備え八海山辰巳と有江ルミは交代制でこの霊能局に常駐していた。
彼らが襲撃してくれば、必ずや自分のノウハウが役に立つと有江も分かっている。
「大統領暗殺の容疑者か。」
モニタ越しでカップヨーグルトを食べている月兎を見ながら、有江は惚けた顔で兎の顔を観察していた。
「それでこのウサギですけど、どうするのです?」
「米帝が身柄の引き渡しを要求しているわ。」
櫻崎比良乃に尋ねられた小兎姫はあっさりとそう答えた。
「引き渡して良いのでしょうか」
「NSA(ビックブラザー)を貸し出すときの条件だったのだから仕方ないわ。」
大統領暗殺。それは月開発を強硬に進めていた指導者の死であった。
軍拡競争の果ての宇宙開発。それは、同時に人間が初めて月に抵抗した時でもあった。
月を観察、観測することで幻想が持つ無限の力は弱まっていった。
月の都は対抗策を練るしかなかった。だからこそ月の都は自らの手で人間の指導者を消した。
それは彼らの焦りに他ならなかったのである。
人間達はこの大統領暗殺の下手人を一人の人間に定めた。 後は隠蔽の歴史だった。
人間を支配しようとしている別の文明が存在する事実。
それが宇宙からの敵であるという事実。 いずれも分かれば最悪の事態を生むだけであった。
NSAはこの明らかな内政干渉に対抗策を講じることができなかった。
彼らにとってはまさに黒歴史と呼ぶに相応しい事態だった。
下手人の確保は彼らにとっての悲願だったのである。
*
幻想の月へと辿り着いた魂魄達を待っていたのは広がる海と
そこに浮かぶ木の破片であった。
「ロケットは役目を終えたのよ」と言うメイベルの言葉に釈然としないものを感じながら
双眼鏡を用いて、陸のある方向を観察する。
乗組員は無事に月に辿り着いたようだ。 海を見ながら呆然とした表情で座り込んでいる。
ロケットが無くなれば帰還することはできない。
この列車が破壊されれば我々とて幻想郷に戻れる保証はない。
だが、メイベルは至って冷静である。 これから起こることを分かっているのか。
はっきりとした口調でこう叫んだ。
「はじめましょう。 月の都を儚き存在へと変革する 儚月抄プロジェクトを。」
列車から無数の岩と妖精達が放たれ、海へと飛び込んだ。