□月 ●日  No2500 水清ければ魚棲まず


幻想郷とは驚くほど閉鎖的なところである。いや、田舎とかは顕界であっても多少なりとも
閉鎖的になるのであまり気にしてはいけないとは思う。
幻想郷にたどり着いた所謂外界人を見つけた時、最初に話すのは、集落ではなく都市部を
目指すようにということだ。
集落の場合、下手すると外界人が異分子と認識されて碌でもないことになることが多いからだ。


八雲商事が何故商品を一般の人間には売らず直接取引を妖怪に限定し、あくまでも市場に
流すだけにとどめている理由もそこにある。
この手のトラブルに巻き込まれると八雲商事の人間も無事では済まないのだ。
逆に八雲商事の人間が手をあげたら大変というレベルでは済まないのである。


この手の問題で我々が一番観測しやすい人間がいるとしたら、それは霧雨のご息女だ。
不思議とは思わないか?彼女がなぜ、人間よりもより妖怪に近い博麗の巫女たちと
一緒につるんでいるかである。これは彼女なりの自衛策であると考えられる。
妖怪とつるんでいると解れば、集落の連中は少なくても彼女に手を出しにくいからだ。
妖怪と関係する人間になにかして、集落丸ごと焦土になっても八雲商事としても
知ったことではない。地図から消えるだけである。


この辺の問題は人間社会であれば容易に起こりうる。
八雲商事の連中が妖怪を相手にするのは妖怪の場合は閉鎖的でいてもまず間違いなく
良いことは無いからでもある。周囲との接触を避けていても博麗の巫女が殴りに来るのだ。
大迷惑だが、その結果感謝されるケースもあるのである。
博麗の巫女に退治されるとその見返りとして物質面で補助が受けられると言われているのだ。
実際のところはわからないが、それ目当てとしか思えない妖怪は何匹か知っている。


ともあれ幻想郷であっても人間の醜いところもセットで隔離されるのは
仕方ない部分で合って、そもそも醜いところがなければ妖怪も生活できないので
困った部分ではあるが仕方ないのだ。
水清ければ魚棲まず これが真実なのである。