□月 □日  No110 甘粕の回顧録1


季節は春を迎え ソメイヨシノが咲き渡り 春の息吹と強烈な睡魔が吹き荒れる日。
私はとある総合商社に在籍していた。 まだ新しい社屋を革靴で踏みならすのは新鮮な気分である。
タイプライターで作られた社内文書の誤字を探すのが朝の日課である。


今日、上司から新たな赴任先を伝えられた。
そこは「ゲンソウキョウ」と呼ばれる土地で、会社はそこに莫大な投資を行っていること。
銀行も全面的な支援を行っていることが伝えられた。
列車に揺られること半日。
間近に見たゲンソウキョウなる土地は私の想像を絶した未開地域であった。


まず社会に基本的な基盤がまったく整備されていない。
日本列島改造論が叫ばれてかなりが経つがここまで状況の悪い土地は初めてである。
まるで文明から隔離された空間のように映った。
そこでは私の幼少の頃の暮らしがあった。
電気洗濯機もテレビも蛍光灯も私は家に入ってきた時を克明に覚えている。
炊飯器を月賦で購入したときの母の顔は今でも忘れられない。
だがここには電化製品はおろか満足に電力も供給されていないようである。


私たちの仕事はこの未開の土地に事務所を作り、商品を売り捌くことだった。
何もかもが昔のままで懐かしくもあり、同時にとても不便にも感じた。
夜になればあたりは真っ暗になる。街灯もないゲンソウキョウの夜は静かで
永遠に続くかのような錯覚に陥った。


今日、この土地で殺人事件があったらしい。
被害者は、内蔵だけを抉られてそのまま放置されていた。
どうやら貧困のあまり治安は悪いようである。
とんでもないところへ赴任したものだ。
上司に報告すると、我々は安全だから安心して仕事をして良いと指示された。
現場の状況を理解しているのだろうか。


営業拠点はうちの会社に勝るとも劣らないすばらしい設備であった。
コンクリート造りのビルディングは、このゲンソウキョウには浮いて見えた。
今日からゲンソウキョウと本社を行ったり来たりする生活になる。
気を引き締めてかかりたい。