□月 ●日  No1018 博麗神社の清掃局員


日々人外魔郷の程度を増す博麗神社。
久々にその姿を見たらもはや違う意味で原型が無かった。
新築であるということを差し引いてもいつも綺麗にしてある。


いくら博麗神社といえども一人で管理していれば掃除も限界がある。
草は生えるし、植栽は伸び放題になる。 だが、本来ならそのはずの博麗神社の掃除がかなり行き届いている。
一体何が起ったのかと思って監視している式神に話を聞いたら、妖怪たちが自主的に掃除をしているらしい。
とうとう巫女も妖怪を使役するようになったのかと感心していたら、ホバリング飛行しながら
壁のすす払いをしている地獄鴉を発見した。地霊殿に住んでいるペットどもだ。


博麗神社の管理費用が妙に減っているという話を聞いたが、どうやらそういう事情があるようだ。
監視している人に聞くと、博麗の巫女が神社で暇している地霊殿のペットたちに掃除を教えたらしい。
本人たちは遊びと思っているらしくあちこち掃除をするたびに喜んでいた。
労働だと思っていないため、その効果は地霊殿にも波及、ゴミ屋敷だった地霊殿は半月ほどで
紅魔館もびっくりのゴミ一つ無い空間となった。
お陰で主人はどうも落ち着かないらしい。 難儀な話だ。


掃除はたしかに大変なことだが、それ自体が遊びとなった彼らにとって苦じゃなかったようである。
特に地霊殿住民の興味を引いたのは庭だった。
カラフルで花が咲き誇り沢山の植栽が植えてある博麗神社の庭は地下しか知らないペットたちにとって
とれも美しく映ったのだろう。
興味を持てば知りたくなるみたいで、その後遊びに来た白玉楼のお庭番に剪定の仕方を教えて貰うなどして
自ら庭をコーディネートしだした。
原型がないという違和感の正体は彼らのセンスで庭が綺麗になっていたからだった。


これは人間にも言える事ではないかと思う。
大変なものを大変だと思ってやっていれば苦労の塊であるが、一種のレクリエーションだと思うと
まるで苦労だと思わない。 
よく、草取りが大変だという話をすると、ガーデニングが趣味の人に言わせれば
楽しみの一つに化けるのである。 


異変に気づいたのかメイド長も妖精たちを引き連れて博麗神社を訪れていた。
何事かと尋ねられたが、理由を説明すると何か思うことがあるのか悩んでいた。
紅魔館は妖精メイドを役立たずと思っているが、清掃能力はそれなりに高いと思う。


今日はやたら注文が多かった。 地霊殿のペットが博麗神社行きの請求書でたくさんの清掃用具を頼んだからだ。
かなりの数が地霊殿に持って行かれそうな気がするが、とりあえず経費の振り替え処理はしない方針になった。
何か面白い変化を見たと思う。