□月 ●日  No2222 スペシャル回 幻想世界と私


 八雲商事とは幻想の世界が維持できるための物資的、または情報的循環機構を補う仕組みといいます。


 幻想郷とは妖怪変化が住んでいる楽園だと誰かが言いました。
しかし、私が見た幻想郷という土地は外の世界とあまり違いがない世界と言えます。
私には疑問だったのです。竜宮城とか桃源郷と言った楽園に長期間住んでいれば、そこを
当たり前と感じて楽園と感じないのではないかと。それは間違いではなかったようです。


 幻想郷と言えど、そこに住んでいる人たちの不満などはあまり変わりはありません。
しかし、外の世界、私は顕界と呼んでいる場所と違いがあるとしたら、自分の周りのこと以外は
驚くほど無知だということでしょうか。決して頭が悪い訳ではない。それだけ我々の住む世界が
情報であふれているとも言えるのです。


 私が見る幻想郷は決して楽園ではありませんでした。人間がいる以上はどうしても完全な楽園と
まではいかないのでしょうが、一つ言えるのは隣の芝生が見えないことが傍目には幸せに見えるという
事実であります。不思議なもので、自分たちに逃避する場所がなければその場所で頑張ろうとするものです。
自由とは何なのだろうと幻想郷を見るたびに思うのですね。


 幻想郷の住民は私から見れば不仕合せに見える場合もあります。しかしそれを指摘する必要はないと思っています。
その場で生きることを選択すればそうせざるを得ないのです。ただ何も対策も準備もなく幻想の世界に行った人は
不憫だと思う時があります。隣の芝生を知っている人間にとってここはどう見ても不仕合せな場所に見えます。
そういう人たちにリソースを裂いているのが我々なのではないかと、そう思わざるを得ません。


 幻想の世界は信じられないほど、貧乏で不潔で、たぶん実際に行ったら多くの方ががっかりするかもしれません。
ちょっと考えればわかるのです。博麗神社は何故外の世界と同じような姿をしているのか。多くの建造物だって
そうです。本当に幻想の世界ならそこはもっと煌びやかな世界でなくてはいけません。そうでなければ人々を
十分に養うリソースにはなりえないのです。 その意味でこの世界は幻想郷と名乗っておきながら幻想ではありません。


 つまるところ幻想郷とは妖怪変化がいるだけの、いわゆる現実なのです。
 ここは私たち外の世界にいる人のための逃避場所ではないのです。
 そしてそれは逆も真なのです。多くの人たちや妖怪たちがここの便利な暮らしの一部を見聞きして、憧れている
事実を少しは頭の片隅においていただければ幸いです。