△月 □日  No456  水子の話


香霖堂への配達の途中、赤ん坊の白骨遺体を発見する。
放っておくこともできず、埋めてやってから線香一本立てておいた。


香霖にそのことを話すと無言で天狗の新聞を見せられた。
そこには子供引き取りますと書かれていた。
それと何か関係があるのかと聞いたら、子供を間引く業者だと言われてぞっとした。


幻想郷でお年寄りが山に捨てられる場合があることは以前にも書いたが
もっと深刻なことは生まれた直後の赤子が捨てられたり殺されたりすることだという。
所謂口減らしというものだ。
そういえば柳田国男の本で「ある村では一男一女の家庭しかない」という文面を
見たことがあったが、まさにそのようなことがここで起っていることに
私自身驚くしかなかった。 確かに母体の健康を考えれば生んだ後に処置した方が
はるかに確実で効率のいいことではある。


残酷なことだが、自分のいるところだって文明開化以前はごく平然と行われていたと
いう。 あちこちに水子供養の神社があるが、あれは流産したのではなくて
生まれた直後に水に沈めて殺めているからとも言われる。
河童の謂われもまた口減らしの産物という説もある。


さすがに気持ちが悪くなったので早めに仕事を切り上げて朝倉にそのことを話したら
「なぜ、妖怪が人間を食べると思う」と聞かれた。
嫌な予感がしながらもわかりませんと答えたら、
「人が妖怪に人間の味を教えたからだ」と言われた。


妖怪が人を襲うのではない。
人間が妖怪に人を差し出していたことには流石の私も参るしかなかった。
朝倉はクールに、「お前も無数の飢える人を犠牲に食うに困らない
生活をしているのだから自分だけは違うと思うな」と言っていた。
つくづく人間というものは業を背負っているのだなと思う次第である。