□月 □日  No631 救うのは信じることから


幻想郷に物品を送り届けるのは私だけではない。
いろいろな人が働いているわけなのだが、当然のごとく脱落者も出てくる。
多いのが鬱になってしまう人だ。 幻想郷といえど世の中と同様の不条理は必ずある。
それを救おうと考えてしまうと最終的には自分が潰れてしまうと思う。


幻想郷の住民は本質的には人情味溢れ、エネルギッシュな特性を持っていると思う。
そんな人々に惹かれ極端に感情移入してしまうと、自分でできることの限界に直面することになる。
うちは本質的に会社であるから、最終的には無尽蔵に物資を送ることもできないし
その物資もあくまで幻想郷の流通機構に乗せるだけである。
直接配送も、一応霧雨店や準じた店に納めてからそこから商品を送ることになっている。
店にとってはやっかいな妖怪たちの相手を一手に引き受けるから何かとが都合がよいようだ。


こうした人たちに対してボスの反応は至ってクールだ。
「なってしまったものは仕方ない」と言うのである。
鬱になる人間は会社に一定割合いるし、それに対しては治療に専念してもらうしかない。
あくまで頑張れとも言わないし、規定の療養期間が終われば退社扱いとなる。
もっとも本当に退社することになるのはごく僅かにすぎないようだ。


私も似たような気持ちになったことがあるため、つい彼らの相談相手になって
しまうのだが、ボスも朝倉も余計なお世話だとあきれ顔だ。
朝倉は「救うと考えている時点で駄目」と言ってこう続けた。
救うと考えることは、相手を信用していない証拠である。
幻想郷の人間が自分たちで生活をどうにかしていくと信じることが必要だし
我々もまた自分のやっていることを信じていればそんなことにはならないらしい。


北白河はちょっとおもしろいことを言っていた。
抗うつ剤は風邪薬と同じで結局諸症状を緩和する薬に過ぎないというのである。
最終的には自分自身の問題。 どうにかしようと考えること自体傲慢な事なのかも知れない。
救うと考えないこと、きっかけを与えるだけと割り切ることを再認識した日だと思う。