人間が集まり一つの社会性を帯びるとどうしても避けられないことがある。
それは貧富の差である。 出来れば幻想入りして欲しくないことではあるが
物資を運んだとしても共産主義でもない限り公平にというわけにはいかない。
もし誰も平坦な収入を持っているのなら今頃博麗の巫女に対して貧乏巫女と言うことは出来ないだろう。
レンコは幻想郷にも乞食がいることに驚きを隠せないようであった。
もっとも幻想郷における彼らはどうやってお金を稼いで入るのか。
知らなければそういう印象を受けるのは当然だと思う。
彼らはどうやって飯を食べているのか。
実は彼らは妖怪の息が掛らない所謂情報屋が多い。
幻想郷の人間は行動範囲はあまり広くなく、家を基本単位として見ており
移動量もそれほどでもない。
しかし、彼らは話が別だ。 幻想郷をかけずりまわり人間の視点で情報を収集する。
妖怪に任せればよいという意見も無きしにもあらずだが
妖怪たちはあらゆる部分で達観しており、情報によっては扱ってくれないことがあまりに多い。
故に鴉天狗のもたらす情報は正確性に欠けるのである。
もちろん、そういう人もいれば本格的に怠け者という人もいる。
顕界と違い精神病に関する知識が不足しているので、生きる事が出来ない場合の
彼らの運命はとても過酷である。
よく幻想郷を楽園と称する物が居るが
楽園といってもそれを享受できる者と享受しがたいものがいる点は注意されたい。
幻想郷に行けば借金から逃げられるとか社会的制裁から逃げられると思う人は後を絶たないが
実際は厳しいと言うことは理解すべきだと思う。
レンコはボランティアでどうこうすることはないのかと言うが
基本的にボランティアは経済的に余裕のある者がやるものだ。
幻想郷の場合それは妖怪の場合が多いが
物事は全て裏があり我々でもきちんとした客観的情報を招くのは何時のことなのか
なかなか厳しい話だとおもってならない。