□月 ●日  No1238 もはや一枚岩ではない


今回も妖怪同志の定期懇談会こと混怪が開かれたらしい。
らしいと書いたのは今回直接参加しなかったからなのだが
朝倉がコスプレ姿で参加してとてもコメントしがたい状態だったらしい。


既に早耳の妖怪もいたのだろう。今回の朝倉は大師様の復活に際する説明に
明け暮れた。 大半の妖怪は博麗の巫女は余計なことをしたということで
意見が一致していたようだ。 


妖怪の地位向上に奔走したという大師様だが、当の妖怪からあまりよく思われていないというのは
驚かざるをえない。 妖怪達に言わせればそもそも大師様を封じるのにも妖怪達の知恵が
絡んでいたという。妖怪達のみ方だと思われていた大師様が一部の妖怪達にも疎まれていたわけである。


そもそも妖怪もカミも根っこはあまり変わりがないと言われる。
信仰を得た妖怪はカミとして祀られ、更なる属性を付与されて本当にカミになる。
しかし大師様のやりかたは妖怪と仲良くであったから、今の妖怪を受け入れろという意味になる。
これでは信仰を得てカミとして新しい属性が付与されることがない。
妖怪はあくまで妖怪として生きよと言われているようなものだ。
一部の妖怪達にとって大師様の考えは邪魔であると考えてもおかしくない。


大師様の考えを引き継いでいるという霊能局は随分と柔軟な運用がなされている。
妖怪が信仰を得て属性が変化することに寛容であると言われている。
大師様が封じられたという事実は妖怪達にとって人間とどう接するのか考え直す機会になったのだろう。


しかし現代は保険が数多くあるというのが朝倉の弁だ。
いざとなったら、永遠亭や綿月姉妹もいるし、より組織化された霊能局もある。
むしろ今だから大師様を復活させて丸くしてしまおうという意図がも有ると言える。
法力を使うのが奇跡と考えられていたあの当時と違うわけだ。
今では自称現人神など能力は結構な人数使えるわけでありがたみが少ない。


こういう話を聞くと妖怪も少なくても一枚岩でないことがよくわかる。
色々な価値観と思惑が絡まり幻想郷が運営されていると痛感する日である。