□月 ●日  No1304 嫉妬と呪詛は違うのです


嫉妬妖怪から、この先は危ないので少々休むようにと警告を受ける。
こうした場合は素直に聞くのが正しいやりかたである。
嫉妬することが多い彼女であるが、それ以外は至って普通の少女妖怪である。
道理は通じるし、他人を案ずることもできる。
デストロイヤー軍団どもと比較すれば彼女が如何にまともな妖怪であるか判っていただけるはずだ。


そんな彼女であるが、基本的に本当に相手を妬んでいるかどうかと言われると
疑問が残る。彼女にとって妬むという行動そのものが一種の謂われの自主生産みたいな
案配なのだ。 これは、彼女と会話するとよくわかる。
理由無く妬むことはまず無い。寧ろ周囲のねたみを吸い込んで自ら反面教師になろうとする。
厄神様に近い存在とも言えるだろう。


というわけで嫉妬妖怪と適当に駄弁ったら、「丑の刻参り」の話が出て盛り上がる。
みんな呪いの術だと思っていて大迷惑だと言っていた。
そもそも人形遣いのアリスが「丑の刻参り」をしていたのは、あくまで大願成就のためであるという。
最近は呪いの要素も組み合わさってきているが、実際のところは呪いを掛けるという願いを
掛けない限りは無害そのものだという。


第一藁人形を使うのが「丑の刻参り」では邪道だというのが彼女の言い分だ。
そもそも藁人形は陰陽道の道具であって、「丑の刻参り」では本来試用しない。
五寸釘も同様であり、あれも本来は使わないという。 本場の「丑の刻参り」は
あくまで祈願の術であり、恋愛成就とか割とロマンチックな用途に用いられる。


ちなみに、鬼になった伝説もあったそうだが、あれは敵討ちの為であって
嫉妬とかは別に関係ないとのこと。嫉妬は相手への強い思慕の表れであって
ポジティブに考えれば、それだけ思っているが疑っているとも言える。
なんとも面倒な話であるが人間の心は得てしてそんなものだとも言えそうだ。


だから敢えて言おう。彼女の嫉妬はあくまでポーズである。
もし本気で嫉妬していたらもっと死屍累々悲惨なことになる。
彼女の本質を理解していれば、まず間違いなく彼女こそまともな妖怪と評価することになるだろう。