□月 ●日  No1400 八雲商事を去る者


私は本日付で八雲商事を定年退職することになりました。
思えば幸せな社員生活でした。 皆様ありがとうございました。


黄昏酒場と呼ばれる居酒屋が集まる商店街の一角。
ある男の送別会が開かれていた。
自分の同僚、部下たちに囲まれて男はしばし昔の風景に思いを馳せる。
それは、夢の中の出来事に思えた。


いや、正確にはその男は本当に夢の中にいた。
在籍していたというのが正しいと言えるかもしれない。
そこは人智を超えた法則が通用する隠里であった。
会社はその場所を「幻想郷」呼んでいた。


時に1960年
その男は八雲商事に入社した。普通のサラリーマン生活が待っていると
思っていた男を待っていたのは、人外の者との取引であった。
しかし、この男にとって幸いだったのは人外の者と接触するのに
リアリティがあった時代だと言うことだった。


幻想郷での生活は決して楽ではなかったが、それでも苦ではなかった。
不便と言っても生活できないほど不便というほどでもない。
男の学生時代の方がまだ不便だったかもしれない。
寮には浴室もあったし、公団住宅にしかないようなキッチンも置いてあった。
トイレはくみ取り式だが、それは男の学生時代の生活と大きく変わるものではなかった。


給料は右肩上がりに上がった。
オイルショックがあって世の中が不景気になっても会社の賃金は上がり続けた。


幻想郷は物騒なところだった。あちこちで人傷沙汰があった。
拳銃の代わりに放たれたのは弾幕
当時スペルカードはシステム化が不完全で何も宣言しなくても弾幕
放つことが出来た。 システムは不安定で術者が怪我することも多くあった。


70年代になると、オフィスに初期のOAがやってきた。
大きな電卓を見るために河童が多く来社した。
ワープロが出たときは大騒ぎだった。 文章が印字されるのをみて腰を抜かしていたのを
笑って見ていたら、次の日には分解されて元に戻ることはなかった。
サービスマンの人がスクラップになったワープロを見て言葉を失っていた。


80年代、幻想郷にもこれからは科学だという機運が広がった。
八雲紫は幻想郷の強化のために科学も取り入れようと試みていた。
冷戦構造の激化で幻想郷も巻き込まれるのではないかと心配された時期だった。
もしも、近代科学で幻想郷が襲われたらひとたまりもない。
そういう危機感が幻想郷に多額の設備投資をもたらした。
タブーとされていた戦車の導入も積極的に行われると同時に
スペルカードの完成に向けて多額の研究費が投じられた。


90年代 拝金時代
デタラメな時代。八雲商事を去る者も多くいた時代。
八雲商事はまるで公務員みたいな会社システムだったので賃金も
実情に合わなかったことが大きい。
妖怪の多くはこの時代が長く続かないと看破していた。
長く生きた者の智恵だ。 彼らの意見を聞いていた人はその後経済的に
破滅することはなかった。


そして紅魔館がやってきた。


幻想郷は、幻想の世界で変わり永久不変だと思われている。
それは間違いだ。
この男はそんな幻想郷の姿を見続けていた。


男は今後は酒屋を経営する予定だという。
すでに黄昏酒場群内のビル屋上にビアガーデンを作るべく、敷金を払った後だという。
妖怪達と接触した彼は妖怪がお酒にお金を落とすことを知っている。


男は今日八雲商事を去る。
思えば良いサラリーマン人生だった。 そう振り返る男を皆が見送った。