□月 ●日  No1997 弱者故に


全ての事象というものは良くするためにどうこうと言うよりは、そのままでは支障が出るため
何かをするものである。多様性が生まれるのは弱いからである。強者からは多様性は生まれない。


妖怪というものは強者でもあるが弱者でもある。個体数はホモサピエンスよりもはるかに劣り
経済力の面で人間を脅かしているといっても人間が作ったインフラにフリーライドしているに
過ぎない。この根本的問題は幻想郷が生まれる遙か前からある根本的問題である。


妖怪達にとって絶滅を避けるためにどうするのか、基本的に寄り添ってしまう。
よりキャッチーな姿になる。キャッチーな姿にすればその分人間への認知度が高まるからだ。
伊達や酔狂で娘の姿になんかなっていない。時代のニーズがそうだからそうしているに
過ぎない。


寄り添うのにはもう一つ理由がある。単にコスト削減である。インフラを集約した方が
コストは安く済む。資源は有限でありお金もまた有限だ。
それでもなお幻想郷の中で孤独を決め込む者がいる。彼らは自分たちが保護の中にいることに
気づいていないのかも知れない。


つまるところこうだ。博麗大結界とは弱者を守る為の繭でもある。もちろん妖怪の個体によっては
人間世界に溶け込んで十分な生活空間を得ている者もいるが、所詮人間の一生は短く
妖怪達がいまのポジションにいられる保証はなにもないのである。


必要は発明の母とヒトは言った。
その「必要」という言葉がさらに自分の存亡を賭けたもので有ればあるほど
それはドラスティックな変化となってやってくる。
もちろん変化したところで生き残る保証は何もない。


この博麗大結界のように。