□月 ●日  No2185 負の仕組み


 幻想郷で一番怖いのは食糧の不足である。とにかくこれが一番怖い。
食糧の不足状態は色々な部分で問題を引き起こすがこと問題となるのが部落化と呼ばれる現象。
つまり食糧を身内で分け合うために、特定の集団を作ってしまいそこでだけ食糧を融通させようとする動きである。
残酷なことに、真っ先に切り離される人間というのが作られるのである。


 八雲商事は幻想郷に不足している物質を供給する仕事をするのだが、しばしばこの機能が機能不全を起こす場合がある。
人間は蓄財する生き物だからだ。特定のヒトや特定のコミュニティに資源が集中するなんてことが発生する。
だから一定以上の物質を送っても末端まで届かないことが多いのだ。


 彼らは屠殺のためのヒトだったり、若しくは死者と関わる仕事をしている。ここまでは顕界とあまり変わりない。
しかし彼らは生き抜くために妖怪たちと手を結んでいる。ここでパワーバランスが生まれているのである。
もちろんこの中に魔法使いうというのも含まれている。 
 もうちょっと、この辺の話をしないといけない。 そもそも霧雨のご息女は何故、勘当までされたのかである。
 もちろん我々は彼女の動向を逐一監視しているのだが、どうもそれは彼女のことを心配するより寧ろ、彼女を避けるために
行っているのではないかと思うところがある。 つまりはそういうことだ。


 もちろん例外もある。紅魔館はそうした社会的弱者の駆け込みで寺だった。彼らは自ら強力な食糧供給元になることで
人間社会と対等に取引する道を選んでいる。これは彼らの戦略勝ちであった。
 しかしこれは例外中の例外、彼らが財力を持っているからこそ可能なことだ。


 つまるところ八雲商事が特定の妖怪に特定の物質供給をしているのはそういうことなのである。
我々が外の世界の人間または境界にいる人間で構成されるのは、幻想郷住民のコミュニティの枠に入ってないからだ。
そして、博麗の巫女たちは我々が居ないと満足に食糧を供給しきれないのである。
 

 これが負の仕組みというものだ。