□月 ★日  No566 たまには落語でも聞いてみようか


列車のメンテナンス関係のせいで幻想郷にいたまま休日を迎えてしまった。
寮にはネット端末があるので、ニュースやら情報を手に入れるには不自由しないが、
せっかくの休日なので外に繰り出してみる。


幻想郷に遊びに来たならばチェックしたいのはやはり舞台であろう。
休日を利用して落語を聞きに行く。 幻想郷の情勢に合わせた落語もあるが
古典落語は結界の外も幻想郷もそうは変わらない。 
上方落語の流れを汲んでいるため、外はたくさんの客引きとお囃子でとても賑やかだ。
人形遣いのアリスもここで人形を用いた寸劇を見せて周囲を楽しませいている。
どちらかというとアリス自身が目当ての客が多いのはご愛敬であろう。


例の神社に住んでいるおねえさんと自称現人神にばったり出くわす。
自称現人神が幻想郷に娯楽が少ないと拗ねるので、そんなことはないと連れてきたらしい。
確かに現代社会の娯楽と比べれば幻想郷の娯楽は控えめかもしれない。
カラオケボックスとかファミレスの類は皆無だし、遊園地の類もない。


落語のスタイルは我々が見ているものと基本は変わらない。
しかしライブ感が違う。 上方落語は見ている人を巻き込むスタイルを旨としている。
最初は退屈そうにしていた自称現人神だったが、流石相手はプロである。
表情を瞬時に読み取り、自称現人神を巻き込み始めた。
「そこの可愛い女の子」と言われれば誰だって悪い気はしない。
周囲の注目を浴びて何を思ったのかみるみる上機嫌になっていく。


落語が終わっても興奮気味の自称現人神。テレビで見るよりずっと面白いと言っていた。 
確かに実際に生で見るのと、録画をただ見せられるのでは雲泥の差がある。
真剣勝負、編集もない。 台詞は一字一句間違えられない。
この真剣勝負ぶりもまた講話のひとつの魅力であろう。


おねえさんは、幻想郷の外もここも芸人さんがやっていることや芸に対する気持ちは
変わらないと言う。 幻想になった様々な文化や芸術が幻想郷に流入してる中で
それを支える人の心はどこでも変わらないと言う。
どうやらおねえさんは、自称現人神に幻想郷でも変わらないものを教えたかったようだ。
私も感心して聞き入っていた。


そうしたら話を聞き終わって受講料をとられた。
何処に隠し持っていたのかお賽銭箱を取り出して、私が持つ小銭を半ば強奪もとい投入させられた。
おまけに自称現人神はお腹がすいたから何か食べたいという。
お金くらい持っているだろうと抗議したら、カミ様の有り難い言葉をライブで聞けたのだから
飯くらいおごるのは当然の責務と言われてしまった。
結局、蕎麦を奢る羽目になってしまった。 なってこった。
余計に出費がかさんだ一日だった。