□月 ●日  No1079 現実を見ようぜ


久々に幻想郷に紛れ込んでしまった顕界の人の説得に追われる。
こういう人間は一種クレーマーと変わらず、自分の意見を意地でも通そうとするが
現実がそれを許さない場合が多い。
一度痛い目に遭えば良いのだろうが、問題は痛い目に遭ったときにはこの世にいないと
いうことだ。 二度目のチャンスなんて幻想郷ではあったものではない。
そんなものは弾幕ごっこの時だけと思って良い。


説得の相手が複数人になるとさらに始末が悪くなる。
内々で納得し合うのは大いに結構だが、それが現実に即さない場合でも
理論武装されて始末が悪い。 理論武装したところで幻想郷で生きていく上では
どうにもならないのだが、まずは自分のアイデンティティを守ろうと必死で
そこから先に行けないのだからたまらない。


あまりに酷い場合は、こちらとしても時間が勿体ないので見捨てることとなる。
妖怪の餌にしても良いということだ。
こうなると、自警団の連中すら彼らを守らない。
自分で自分を助けようと行動しない奴を助けても資源の無駄であると考えられている。


今回のケースでも結局朝倉の指示で見捨てて良いという結論に達してしまった。
しかもその日のうちにこいつらと再会したところはよりによって中有の道だった。
早いなんてものではない。 現実というのは一気に進行するものだとまざまざと
見せつけられる。


中有の道に辿り付いた連中は、それでも自分の考えを曲げていなかった。
当然だ。 彼らは死んだことにすら気づいていないのだ。
お前らは死んだのだと指摘したら、お前も死んでいるじゃないかと言われた。
こっちは特権で生きていてもこっちに来れるんだよと、小一時間掛けて説明しようとも
思ったが資源の無駄と思ってやめた。


彼らが三途の川へ行くとまた大もめに揉めることになるだろう。
もっともこういう人間は三途の川すら渡れない場合が殆どである。
消滅すると判って彼らは後悔するのだろうか。 信念に基づいて消滅するとなったら
何かしら救いがやってくるとは思うのだが、その辺はどうなるか判らない。
下手すれば蝶にされて白玉楼の主人の弾幕にされる可能性は大いにありそうだ。


こちらとしては助けないといけないという義務は全くないので
幻想郷で私らに会っても絶対助けて貰えると期待してはいけないのである。
助かるかどうかは結局自分次第なのだ。
こっちはあくまで手助けをするので精一杯なのである。