□月 ●日  No1101 Incoming


それはまさにうだるような熱帯夜であった。
うっそうと生い茂るとある竹林の中をローブを身に纏った長身の女が"進んで"いた。
獣道すらない竹林はしばしば方向感覚を狂わせるものであるが
その女の動きには迷いはまったくなかった。


そのが場所は現地の者に「迷いの竹林」と呼ばれていた。
竹林の中心部にあるとある場所を守る為に、高度に結界が張り巡らされており
一般の人間は満足に進むことが出来ないはずである。
住民である兎たちの加護を得た者でなければ。


やがて女は不自然に新しい建物の前に脚を止めた。
それは日本家屋と呼ぶにはあまりに新しすぎた。
木材は焼けておらず美しい色を湛えていたし、壁面は真っ白でまるで塗り立てのような
純白を称えていた。


女は建物を一瞥すると、なにも言葉を発することなくそのまま門を潜ってしまった。
もちろんこの建物は女の所有物ではない。 本来なら住居不法侵入罪で逮捕されて
しかるべき行為である。


玉砂利が敷き詰められた庭は地面を白く染めていた。
不自然なほどに白く、覗かせる岩には雨の跡が付いていない。
中庭で女が見たものは、この暑さにも関わらず厚手の着物を纏った美しい黒髪の娘であった。
季節に合わない純白の風景に浮かぶ朱色はまるで一つの芸術作品を思わせるものだった。


「お久しぶりと言うべきなのかしら」
先に声を発したのは黒髪の娘の方であった。
「永琳はどうしたのかしら輝夜姫
「それは貴女の方がご存じの筈でしょう。」
輝夜姫と呼ばれた娘に警戒の声色はない。 まるで古い友人と話すような親しげな表情を
浮かべていた。 
一方で女も不敵な笑みのまま、縁側に勝手に腰掛けた。
そして切り出した。
「今日は私の立ち位置をはっきりさせておこうと思いましてね。」


輝夜姫もまた縁側に腰掛ける。
当たりは気怠い空気の筈だが、その場所だけピンと張り詰めた空気が広がっていた。
「月面戦争の話? 永琳は大規模な闘いがあると思っているようでしょうけど
 戦争に値しない局地戦でしょう?」
輝夜もまたカードを切った。 これには女も少々面食らったようであったようである。
ほんの少しだが変わった表情を輝夜が見逃すわけがなかった。
「ご明察ですね。でも、私たちの目的は別のところにあるってことを伝えたかったので。」
「あなたから目的を話すなんてどういう風の吹き回しなのかしら。」
輝夜姫はそっと目を細めて見せた。 だが女も負けていない。
輝夜姫の表情に満面の笑みを浮かべて見せた。
「あなたの力を狙う不逞の輩をこの際燻りだしておこうと思いまして。」


ここ最近、この建物の回りに明らかにここの住人と違う身なりの不審な人物が現れていたことは
輝夜も把握していた。
もちろん、この建物を見つけ出すためには幾つかの条件をクリアーせねばならず
そのな人物が幾ら捜索したところここを見つけ出すことは不可能に近い。
この建物を実質的に管理している八意永琳は、この状況を問題の無い出来事として
輝夜に伝えていなかった。


女は続ける。
「まず手土産として、迷い込んだ月兎を一匹そちらに送ります。 
 恐らく永琳が先に接触すると思います。そうすれば月の本当の状況も見えてくるでしょう。」


「それで、私はどうして欲しいわけ?」
「静観して欲しいのです。 いざとなったら無関係を装えるように」
輝夜姫の問いに女は笑みのまま応えた。


「月を狙っているのは、妖怪だけじゃないということね。」
輝夜姫の声はそのまま虚空へと消えた。 相手は既に姿を消してしまっていたからだ。


輝夜姫は女がいたはずの虚空をしばし見つめ、思い出した周囲の暑さに茹だって見せた。
兎たちが氷を携えてきたのを見て、輝夜姫はしばし相手の出方を確かめようというと
考えることにしたのだった。