□月 ●日  No1159 復活の陰に


大師様は復活したものの、皆が手放しで喜んでいるとは限らない。
むしろ素直に喜べないというのが実情のようである。
大師様復活は一種のバーター取引だったとボスが言っている。 
可能なら復活させたくないというのが本音なのかもしれない。
しかし大師様は復活してしまったわけで、これからどうすればよいのか検討しないといけないだろう。


大師様が復活できたのは、決して間欠泉のせいではなかった。
これは朝倉も小兎姫も同じ見解だった。 
説法で人を動かそうと考えるのは裏に何かしらの野心があるからだというのがボスの意見だった。
だからこそ大師様は地底に封じられたのであるという。
大師様が復活できたのは、あくまで今いる法界と呼ばれた場所から解放されても博麗大結界という次の結界に
阻まれるのがわかっていたからであるという。
朝倉の意見はもっと別だった。 妖怪と人間の今の関係を直接見せて無力感を与えたほうが早いと考えているようだ。
ただ、大師様は霊能局の局長で外の世界については多少の概要は分かっていると思ったほうがよいと思われる。


この日も大師様の教えを伝えようとする妖怪がちょっとした衝突を起こしていた。
本人にしてみれば有難い教えを伝えていると思っているようだが、それは根本的にどこか違う。
支持者もそれなりに現れているようだが、ある種の不気味さを感じさせるものがある。


確かに、人間と妖怪の距離感を縮める努力は必要だと思う。 しかしそれは妖怪の謂われを理解することで
実現するものだと私は考える。 あくまで無知が妖怪を差別させていると考えるべきだろう。
しかし、妖怪の価値観は人間のものと同一ではない。 明らかに別の価値観で動いている。
長い寿命を持つものが人間と同じ価値観であるはずがない。 先日の強盗の件でもあるように
大事の前の小事なら目を瞑るドライさがある。
人間は不器用な生き物だ。 小事を守ろうとして大事を損ねることなど多々ある。
だが、そこにある小事は全く価値がないのかといえばそうではない。
ゆえに妖怪と人間はどこまで行っても完全に理解することはできないだろう。 
せめて妖怪の存在を認識し尊重したほうが角は立たない筈だ。


仏閣の再建に関して、例の神社にいるおねえさんはトラップを設けるか、合祀にしてある程度信仰を分散できないかと
朝倉に相談していたようだ。
もちろん見破られるリスクはあるが、それでも信仰が集中するよりはマシなのだという。
それだけ大師様はあちこちから警戒されているというべきなのかもしれない。


朝倉から「大師様の言う妖怪もカミもそれほど違いはないの意味に気をつけろ」と言われている。
そして同時に「大師様はすでに人間をやめている」とも言われた。
あまり考えたくない結論が出そうなので筆を置くこととする。