□月 ●日  No1197 冴月麟


八雲商事の夜。
大半の社員が帰宅し、経費節減のため電気も消され静けさに包まれた社内で
ボスこと魅魔と呼ばれた女性は執務を続けていた。 
周囲が真っ暗な環境は彼女にとって慣れたものであるが、
まるで洞窟のような雰囲気は一種不気味さすら感じさせるものがあった。


一応妖怪相手の仕事をしている以上、この部署では持ち回りで誰か一人は
いないといけない。 妖怪の活動時間は概ね午前二時前後と言われている。
しかし、労働基準監督署がそれを赦してくれない。 仕方なしに
ルーコトと呼ばれるアンドロイド数機を配備しながら普段の業務を
こなしているのである。


「ちょっと、宜しいかしら」
突然声を掛けられて魅魔は少々驚いた表情をした。
誰もいない筈の部屋にまだ居残っている社員がいたようだ。
早く帰宅させないと、組合が五月蠅い。 会社員のサガである。
魅魔が顔を上げた先には「ここでは」部下である朝倉理香子の姿があった。
普段なら真っ先に帰宅している筈の彼女が一体何の用件なのか。
魅魔は目を細めながら朝倉の姿を観察した。


「単刀直入に聞くわ、冴月麟とは何者なの?」
朝倉が切り出してきた。 冴月麟とはここの部署にいる妖怪の名前である。
幻想郷の妖怪たちの中でも異質な存在。
弾幕戦を行わず、アウトレンジからの狙撃を得意とする妖怪のことだ。


魅魔は傍らにある冷たくなったコーヒーを一口飲んでから答えた。
「あなたの友人じゃない?」
「そうよ、だから私が調べたの。」朝倉は語気を荒げて言う。
朝倉と冴月は社内では割と仲が良い。 小兎姫との関係と違いプライベートまで
及ぶことは無いが、関係はすこぶる良好のはずだ。


朝倉はさらに続ける。
「冴月麟の正体を天狗達に調べさせたわ。 何度調べても幻想郷にいる冴月麟は
 8街区にいる花屋の娘と出たわ。」
魅魔は無言で朝倉の顔を見続けている。
「あの隙間妖怪と直接接触できる妖怪なら直ぐに答えが出そうなものよ。
 では、彼女は一体何者で何処から来たのか納得できる答えを戴けないかしら。」
朝倉にとって冴月は確かに仲が良い存在ではあったが、今いち正体を掴みきれない存在でも
あった。 自分のプライベートはあまり語らないし、行動も把握しきれない。
少なくても会社の意志とは別の動き方をしているのは間違いない。
今、第二次月面戦争という微妙な情勢でこういうメンバーがいることは良い状況と言えなかった。


朝倉は魅魔の反応を待った。彼女の回答次第ではもしかすると会社にいられないかも
しれないと思ったが、万が一冴月麟の正体が自分の予想通りだとしたら、
博麗霊夢を月に運んではいけない。


「確かに、冴月麟の名前は偽りの名前よ。 それは間違いないわ。」
魅魔はあっさりと認めた。 この反応に朝倉は少々面食らった。


   幻想郷の遙か地下、火焔地獄跡。
   炎が途絶えたこの地で、ある地獄鴉が地上からやってきたという存在と接触していた。


  『火焔地獄跡には究極にして人類が手のする事が出来る最後のエネ
   ルギーを生む秘密が隠されています。
   そして、火焔の中に棲む鴉である貴方。
   貴方はその究極の力を体に宿らせる事が出来る筈です。
   それにより地底のみならず、地上にも希望をもたらしましょう』



「それでは、冴月麟の正体は」
魅魔の答えに朝倉は狼狽した。その答えが真ならとんでもない化け物を
八雲商事は抱えていることになる。それこそ第二次月面戦争の真の切り札に違いない。
彼女の能力を持ってすれば、あの綿月姉妹を相手に十分闘うこともできるだろう。
勿論、そんな安っぽい使い方をするとは思えないと朝倉は思った。


魅魔はそんな狼狽する朝倉の反応を楽しむかのように
不敵な笑みを浮かべていた。