□月 ●日  No1281 雨水


迷いの竹林と呼ばれた場所。甘粕・バーレイ・天治はとある妖怪と対峙していた。
桃色の羽衣を身に纏った天女。そして今は幻想郷のために敢えて間謀になることを選んだ妖怪である。


「久しぶりと言うべきか、永江衣玖よ。」
甘粕は静かに、しかしはっきりとした声で話しかけた。
甘粕の年齢はすでに傘寿を超えている。だが彼の声は実年齢を感じさせない張りのある声であった。


「既に引退したと聞いていました。」
永江衣玖は過去を懐かしむかのように目を細めて答えた。。
甘粕は外の世界の人間である。だが、かつては幻想郷に関わった仕事をしていた。
彼女の記憶が正しければ彼はすでに引退して老後を外の世界で静かに暮らしているはずだった。


だが、彼の姿は年齢を感じさせない。生気も骨格も昔のままだった。
その姿は人間と言うよりむしろ妖怪であることを連想させた。
人間と妖怪の境界にいる人物。


「ロケットが月に向かって飛び立ったことを伝えたのか?」
尋ねる甘粕。 もしギャラリーがいたら空気を読まなくても場が緊張に包まれること位はわかるだろう。


「もしも伝えたと言ったら?」
衣玖は不敵な声で答えた。多少甘粕の迫力に押された形ではあるが彼女とて負けては居ない。
だが、甘粕の答えは彼女の予想を超えたものだった。


「その方が都合がよい」
この答えに今度は衣玖が耳を疑った。 てっきり彼女は自分を討つためにやってきたと思っていたからだ。
彼女自身討たれることをしていることを自覚している。
かつての友人であった魂魄妖忌に間謀と呼ばれてまで衣玖は自分の理想を守ろうとしていた。


「何故?」
「雨月だよ 衣玖さん。」


思わず突いて出た衣玖の問いに甘粕は昔の呼び名で答えた。
折しもこの答えは亡霊の娘が半霊の娘に言ったことと同じである。


衣玖は幻想郷と月の都がふたたび全面戦争になることを回避しようとしていた。
かつての大敗北を知る者の一人として今の流れは見過ごせないものであった。
彼女には龍宮の使いという属性を持っている。 偶然、いや幸いにして月の民は自らの居城を
竜宮城とかつて都を訪れた一人の人間に伝えた。 
故に衣玖は月の都の使いという属性を期せずして手に入れることになった。

彼女は月の使者の振りをして竹林に住む月人に接触しようと試みた。
だが、そこに住まう薬師に危うく殺され掛けた。何人かの同志を携えての訪問だったが
彼らは薬師に悉く殺された。


月の都の人間は人の死を嫌っている筈の存在であると永江衣玖は思っていた。
だが彼らは自分以外の存在なら誰よりも残酷になれる存在であった。
そんな彼らと幻想郷の住民が再び対峙したら。
だから永江衣玖は空気を読んだ。 
空気を読んで敢えて月の都に侵入を阻止させようと考えた。


だが、甘粕は「雨月」と答えた。 つまりはこのこの試みは全て 
見立てによるものだということだ。
考えてみれば紅魔館から飛びだった歪な形のロケットなる乗り物の姿も顕界のロケットを摸した
言うなれば見立てによるものである。


永江衣玖ははっとした。
「そうか、そういうことだったのか」
彼女の考えが正しければ、この月面戦争の正体は自分が思っている世界を超えた形而上のものである。
甘粕は満足そうに頷いた。


そして永江衣玖は空気を読んだ。




列車の発進に呼応するかのように、現れた三角形の飛行物体。


「妖怪の山に展開中の全白狼天狗は所属不明戦闘機を迎撃せよ。」
「顕界の戦闘機だ、全員背後に回って追跡せよ。」


しかし、顕界のものと思われた戦闘機から発せられたのは
まさに幻想郷の弾幕そのものであった。