□月 ●日  No1670 まさに糠に釘


どこぞの糞仙人が博麗の巫女をどうにかしたいと周囲に漏らしているという話を聞く。
あれをどうにかしようと思うのなら洗脳しかないだろうと思うのだが
人間の本性は一朝一夕の修行でどうにかなるものではないだろうと思う。


個人的な考えだが、修行するというのは自分が今までの状況を問題だと自覚して
どうするかを考えることに意味があるわけで、修行そのものに意味があるわけではない。
修行というのはきちんとした目的を持って、どのように人間を導くかを考えないと
意味がないのである。


たとえば儚月プロジェクトにおける一連の修行の場合はあくまで隙間妖怪が博麗の巫女を
手取り足取り教える方向性で実現していた。
この場合はいわゆる八百万のカミを召還する方法を教えるという目的がはっきりしていたから
できたことだと思う。


というわけで、この糞仙人にその辺の話をしようということで社員一同決めたのだが
博麗神社に行ったら、博麗の巫女は糞仙人に連れられて修行しに行ったらしい。
本気で頭を抱えた。


博麗神社に届けられるはずだった食べ物のたぐいを霧雨のご息女がネコババする場面を
脇目で見つつ、周囲と連絡、結局やらせるだけやらせるべきという結論に達した。
一度失敗すれば確実に覚えるだろうというわけだ。


それにしたって最近の糞仙人の行動は目に余るので、何かしら対策を打っておきたいところ。
ボスの話では手を回してあるというので期待したいところ。
普通に話すとわりとまともな糞仙人だけに、なんとかならんのかと思う次第。


日持ちしない食べ物は、霧雨のご息女が持って帰ったが、場合によっては魂魄に
連れ戻してもらおうと思うところで筆を置くことにする。