□月 ●日  No1671 お手並み拝見


博麗神社に人がいないため、とりあえず自称現人神を両方の神社に配置するという
無茶ぶりをかましているため、結局うちの人間も手伝っている今日この頃。
考えてみるとまともに神社のものを弄れる奴が浅間くらいしかいなかったという
事実に軽くめまいを覚える。


糞仙人がどこに博麗の巫女を連れて行っているのかがとても気になるので
手段を選ばず捜索も開始している。 無人偵察機やら、人工衛星やら
天狗のネットワークやら結構あるのだがなかなか引っかからない。
この糞仙人の面妖な力で彼女を監禁もとい保護しているものと思われる。


そもそも私があまり彼女のことを快く思わないのはおそらく、かつての自分を
見ているきがしているからだろう。私も今までは幻想郷の様々な問題や
矛盾についていちいち頭を悩ませていたが、考えてみれば顕界の方がよほど
矛盾を多く抱えている事実に気づく。


天下国家に対して物思いに耽ったところで何かしら解決するわけでもない。
むしろそれがどうしてそうなったのかを理解しなければ物事の筋道など
見通せる訳がない。
それを見通した上で自分にできることを自分なりにやることで変化というものは
起こると思うべきだろう。


博麗の巫女がああいう性格なのはもちろん彼女の気性や環境もあるが
妖怪たちがあの性格の方が都合がよいと考えているのもあるのだ。
それを無理矢理ねじ曲げるのではなく、あわない人なんだと認めることが
大切ではないのか。


そうなると糞仙人のやっていることはいかんせん無駄が多いと思う。
もっとも何も知らない人がいろいろ手をつけてそれによる化学変化もあるだろうから
そこは十分観察しておけばよいのだ。迷惑が掛からない程度に。


一応博麗の巫女はきちんと修行をしているようだ。
もっとも隙間妖怪から学ぶまで修行とはこういうものだと知らなければ
もっとこの糞仙人は苦労していたんだろうなと思うと、いろいろなことは
無駄ではないのだろうと思う。


お手並み拝見といこうか。