□月 ●日  No1886 1886年


幻想郷が現在の姿になるまで色々な事があったわけだが、そもそも幻想郷が
顕界と流通面でも遮断されるに至ったのは一体何故だろうか。
その件について色々想像を張り巡らせるも、なかなか良い答えが見えてこない。
朝倉に言わせれば、そもそもそれは陰謀でもなんでもなく、ただ単にそうするしか
なかったからそうするしかなかったのだという。


当時の政府は富国強兵政策による度重なる増税がある中で、原料の輸出については
海外の価格暴落もあって収益が伸び悩んでいた。
国家の財政はきわめて厳しい状態にあり、当時半ば自治を獲得していた幻想郷を
直撃する結果になったという。


つまり政府が、幻想郷にひもを付けて経営するのにも限界がやってきたということだ。
国家は歳出削減に乗り出さないといけなかったし、幻想郷と言われた土地の経済も
まだまだ脆弱だった。


神仏併合により住処を追われた妖怪たちは幻想郷を目指し、幻想郷を維持するコストは
ふくれあがる一方だったが、政府にはどうしても幻想郷を管理しないとならない
理由があった。 それはそこに眠る3馬鹿もとい聖徳太子様を管理しないと
ならなかったからだ。 彼女?の復活はどう考えても当時の日本政府にとって
最悪のシナリオに他ならなかったのだ。


そこで隙間妖怪が提案したプランはこうだ。幻想郷を完全分離し、経済特区にする。
幻想郷は経済的に独立し、政府からの資金援助を受けない。
妖怪達は独立を確保することになるが、外の世界からはそれは分からないようにする。
景気後退と自由民権運動に悩む当時の政府にはかなり魅力に映ったに違いない。


かくして博麗大結界は外の世界と完全に分離したという。
その後、博麗大結界内では不足する物資を巡る小競り合いが頻発したのは
承知の通りだろう。