□月 ●日  No2233 これは幻想入りしてはいかんだろ


上白沢の学校に行くと色々な部分で違和感を感じることがあるだろう。もしかすると自称現人神のほうが違和感の正体に気付くかもしれない。
とかく、上白沢の学校というのは読み書き以上に一般教養を教える場だと思うことが多々ある。
曰く食べ合わせの話とか基本的な挨拶やコミュニケーションのための仕組み、または問題の解き方でも論理的に当たっていれば正答とする考え方云々である。


そこにあるのは知識というよりは教養を学ばせるというのが正しいかもしれない。
彼女に言わせれば知識は陳腐化しやすいが教養は陳腐化しにくいのだという。場合によっては妖怪相手にも教鞭を振る彼女らしい
考え方と言える。確かに我々がもたらしたテクノロジの知識には彼女はあまり興味を持たなかった。電子計算機についても
基本的な概念を知るだけでそれ以上の知識を得るということはしない。
そして彼女の予言通り操作方法はあっという間に陳腐化した。
妖怪たちの寿命から見れば、それこそ朝令暮改というレベルである。


実のところ自称現人神に上白沢の学校でよかったことを尋ねると「食べられるものは何か」だった。
木の実やきのこの類など何が食べられて何が食べてはいけないのかの知識が一番役に立っているという。
彼女もここにきて一時は栄養失調にあえぐほど味覚のギャップに苦しんでいることを考えれば
生きるための教養がどれだけ大事かわかるというものだろう。
それでも自称現人神はかなりましな部類だ。幻想郷に行く前に相当の訓練を積んでいるからだ。
冷暖房が無くても比較的体調は崩さないし、実は現代技術の粋を集めたサラブレッドと言っても過言ではない。
浅間伊佐美はその点において自称現人神より遅れているのである。


我々の場合でもやっぱり似たような訓練をやることがある。
軍隊ほどではないが、食い物の確保とかをやらされることもあっていい経験をしたと思うが、その気になればカエルくらい
丸呑みできるのだなあということだけはよくわかった。
生きるための知恵については、我々も研修の形で実践するわけだが、我々が足りないと思う知識を補完していると考えると
今の教育とのギャップを考えてしまうのである。

自分で考えることがどれだけ重要なのか。 幻想郷に行くたびに考えさせられるのだ。