○月 ▼日  No203 妖怪たちの葬式


妖怪たちに葬式は存在しない。 彼らは意味消失するだけである。
もともと幻想によって存在を維持していると言われる妖怪たちは、縁や念が途切れると
簡単に自壊してしまう。 だからこそ博麗大結界が存在するのだ。


そんな妖怪たちが何故か葬式ごっこをしているのを目撃した。
彼らにとってみれば死という概念自体が理解し難いものらしく
微笑みながらごっこ遊びを楽しんでいる。
そもそも、葬式における読経は、死者を弔うためというよりむしろ
生者の心を整理させるために他ならない。
"生を明らめ 死を明らむるは 佛家一大事の因縁なり"
"生者の中に生死あり"
という一説は、「生あるものはいつかは死ぬのだから、それを受け入れなさい」と解釈することができるだろう。


朝倉にそのことを報告すると、放っておきなさいと言われた。
妖怪の中には元人間の者もいる。 彼らは肉親との縁を断ち切って
言うなれば、"人として死んだ者たち"だというのだ。
彼らは彼らの心を整理するために葬式"ごっこ"をしているのである。