私がどういう経緯で八雲商事に入社したのかを知る者は少ない。
京都の某書店(※1)で立ち読みしていたら八雲紫にスカウトされたのだ。
大学3年でオカルトに明け暮れて就職活動をほっぽらかしにしていた私は一も二もなく提案を受け容れて八雲商事に入社したのである。
入社に当たって、絶対に社内ではスカウトされた事を口に出すなと八雲紫に厳命された。
その理由は程なくして明らかになった。
入社直後に配属された部署の上司は、朝倉理香子だった。
私が魔術師である事は黙っていたつもりだったが、程なくして朝倉にばれた。
朝倉は執拗に私の魔術日記を見せる様に迫った。私にとって魔術は趣味であり、朝倉は私の仕事上のメンターではあっても、魔術に於けるメンターでは断じてない。
魔術師にとって魔術日記はメンター以外の他人には見せないもの、見せてはならないもの、というのは常識だ。魔術師である朝倉が解っていない筈がない。
パワハラだとボスに訴えると、ボスは暫く考えた風を見せた後、朝倉には情報を漏らさせないし悪用させない、悪い様にはしないから見せなさい。と、結果業務命令にされてしまった。
魔術日記を見せないのは、プライベートだからという以上の意味を含んでいる。魔術師なら魔術日記の内容を悪用するなどお茶の子さいさいだ。
呪詛に悪用するなり、間違った指導を行って破滅させる事さえ出来る。この時点で八雲商事を退社しても良かった。私は悩み、カードを引いた。以下、当時の記録。
XI Lust(※2)
XVII The Star
Queen of Disks
留まれという事か。私はそう理解した。
私の業務に、朝倉に毎日魔術日記のコピーを提出する仕事が加わった。
朝倉は私が魔術日記を付け忘れたり、諸事情で訓練を怠るとちくちく嫌味を言った。
帰ってきた日記には誤字脱字用語の間違い等のチェックと次の課題や問題点が容赦ない言葉で描き込まれていた。おのれは赤ペン先生か。
しかし幻想郷の魔術師であるはずの朝倉女史がヘブル語のアシュケナジックとセファルディックの違い(※3)がよく解るな、と突っ込んだら、魔術日記ファイル(幅5cm)の角で殴られた。
同性だからって容赦なさ過ぎ。だから行き遅れてるんだと思ったが、言ったら言ったでもっと殴られるのは確定的に明らかなので黙っておいた。
半年後、驚くべき結果が現れた。
当時私は某結社に所属していたが、Zelatorからちっとも位階が上がらず2年経っていた。
なのにぽんぽんとこの半年で2階級アップ。Practicusまで上がってしまったのである。周りのフラターやソロールも私の上達に驚いていた。
考えれば当たり前の事なのだが、朝倉みたいなアデプタス・マイナー(※4)級の魔術師が付きっきりで毎日魔術漬けになっているのだから上達しない訳がないのだった。
その事を報告したら、朝倉女史には「あんたが怠けてただけだ」と一蹴された。
程なくして他部署に異動し、今では魔術日記を見せる事はなくなったが、この間久々に玄爺に会ったら「よく耐えたな」と言われてしまった。結果は出したが、二度とごめんだと返しておいた。
※1 某四条のブックストア何とかか、さもなくば某A書房のどちらか。
※2 アレイスター・クロウリーのトートタロットでは、力(Strength)のカードはLust(欲望)になっており、8番目ではなく11番目に配置される。意志による統御と魔術的な力を意味する。
※3 発音の違い。ドイツ系・東欧系ユダヤ人の話すアシュケナージ(イーディッシュ語/アシケナディック)とスペイン系ユダヤ人の話すスファラディー(ラディーノ語/セファルディック系)。どちらも現代のものであり、古来のヘブル語からは変容している。
※4 無論アデプタス・マイナー以上の実力を持っているとしても差し支えないだろうが、魔術界では一応、アデプタス・マイナー以降の位階はアストラル界にしか存在しない=つまり架空の位階とみなされている。