□月 ●日  No2298 炊き出しに思う


新年だろうが八雲商事は通常営業 というところだが、実際のところはローテーションでまとめて休みを
とっているので人手不足になりやすい日である。
基本的に正月三が日に出社すると、三が日ボーナスということでお金が出るため結構出たい人は多い。
もちろん実家があるところは帰省しているというのが実態だったりするようだ。


新年早々というか、例の神社はもう初詣の支度を整えている。博麗神社はいつものまま。
旧正月ベースの初詣と考えるか新暦ベースの初詣と考えるかの違いである。


幻想郷における新年は社会のシステムがマヒする日でもある。
年賀状は正月三が日に書くものであるから郵便の類もヒマなのだ。
この時期までにきちんと食べ物を確保できない家はかなり悲惨なことになる。
そもそもおせち料理とは保存食の放出であるからなのだ。


命蓮寺に行くと、食い物を求める浮浪者たちが炊き出しを得にやってきている。
ありがたやーと言っているが実際のところはどう考えているのかはわからない。
幻想郷の場合でも都市部の余剰人口はどうしても浮浪者になるし、これはどんな社会においても
一定数必ず発生するものでるとして考えられている。


命蓮寺ができたことでこうした貧民層を救うハブができたことは喜ばしいが、
喜んでもいられない、彼らはそこに住まう妖怪にからめられることでしっかり元を取っているからである。
その点において実のところ利害の一致を見ているというのが我々の観測である。


幻想郷といえどどうやったところですべての人たちを救うというのは不可能である。
そこにいるのが人間であれ動物であれ競争が発生する以上は脱落者が必ずでる。
彼らが生きることを許容しつつ、社会の活力を生かすことについては顕界も幻想郷においても
答えがないというのが実情ではないだろうか。