この日、うちの社員は全員喪服姿となる。
「豚供養」が行われるためだ。 うちの会社では妖怪の食用にヒトのES細胞を用いた
豚を出荷している。 偽善的であるのだがギリギリの線だったらしい。
彼らは人間の代わりに妖怪たちの食料となっている。 彼らに哀悼の意を表するのが
この行事の目的である。
ボスは家畜を屠殺するとき、相手の目を見ろと言う。
当然家畜たちも死にたくはない。生きようと必死にもがく。
その表情を見たとき人間は何とも言えない表情になってしまう。それを見た
家畜たちは自分の運命に納得するのだという。
これは人間に命の重みを再認識するためのものでもあるが、こと幻想郷については
動物が妖怪になる可能性がつきまとうため特に重要な教えだ。
だから幻想郷ではご飯を食べるときは必ず手を合わせて「いただきます」と言う。
これは"「命」をいただきます"という意味である。
我々がいる結界の外も、食事の前にお祈りをする風習をもつ人間は数多くいる。
だが、重要なことは自分のために死んだ生き物に感謝することを
思い出すことなのだ。 そのためにこの行事は存在する。
神主が豚たちを供養するための祈りを捧げ、我々はその姿のまま
豚たちが屠殺される工場を見学する。そこで死にゆく家畜たちの表情を
見つめないといけない。 一瞬目を背ける者もいるし、毎年誰かが胃の内容物を
吐く光景が見られる。
家に帰ると考え方が変わったという新入社員のメールを多く受け取る。
自分も朝倉に送ったメールにそっくりな文面を見て、この行事の大切さを再認識するのだ。
目に見えぬ者を畏れること、そして感謝することは結界の外にいる人間にとっても
とても重要なことではないだろうか、そこに大切な真実が隠されているように思う。