△月 □日  No457 運の話と野生の闘賽


幻想郷にも裏社会というものが存在する。 外の世界から流入した人間が悪さを
するのを防ぐためや、様々な理由で社会的落伍者を取り締まるために
必要悪として存在している。
彼らの名前を「ヤクザ」と呼ぶ者がいる。 厄を自ら引き受けて廻りを浄化する
厄神様にちなんでそんな名前がついていると聞いた。 


彼らの活動の場はおおむね賭場である。 賽子賭博はその例である。
親役、客役を用意して一人のカモを追い込んでいく。
これが一般の賭場であるが幻想郷の賭場はもうハチャメチャである。
酷いケースだと妖怪の力を使ったいかさま合戦となる。


麻雀をやれば配牌した瞬間に役ができるのは当たり前
賽子だってお互いに念動のせめぎ合い。 
賽子が割れてノーゲームになることもしばしばである。
もっと酷いと賽子が割れたら親の総取りルールになっていたりしているときもある。
そんなヤクザの皆さんも絶対触れてはいけない人がいるという。
それは博麗の巫女らしい。


博麗の巫女はどんないかさまも全部なぜか無効になってしまう神通力があるらしい。
運とかいうレベルではない。 敢えて言うなら豪運というべきレベルだ。
もちろん本当に賭博をするのではなく、おおむねは酒宴のときに巫女様に挑戦
するという。 挑戦した者はことごとく再起不能になるとか。


そんなヤクザのみなさんも私にとっては大切なお客様になる。
いかさま用の道具を仕入れて彼らに提供しているのだ。
そんな彼らから「運」についての意見を訪ねられた。
私に言わせればこの世に生まれてきたことも偶然と運の産物だと思っている。
かつてこの地も様々な災害が襲いそのたびに生き物は理不尽な絶滅を強いられた。
だが我々はこの世で生きている。 運が良かったからだ。
相手もその話を聞いてそれなりに納得した表情で聞いていた。


幻想郷に住まう「やくざもの」の世界。 彼らもまた幻想郷を支える大切な
要素の一つである。