□月 □日  No622 衣食足りて礼節は知り得るのか?


人は人、我は我という言葉がある。 
結界の外。価値びん乱の社会と呼ばれて久しいが、幻想郷にいると本当の意味での
価値観は多様化しているというよりはむしろ溶けてしまって自己主義の塊になっているので
はないかと思うことがある。


上白沢の塾に教材を納品していたらそんな話になった。
最近メトセラ娘が迷いの竹林周辺で神隠しに遭った幻想郷外の人間を
人里までエスコートするようになったのだが
その時、「助けはいらない」とか「構ってほしくない」という人間が結構いるそうである。
こうした場合、メトセラ娘は一旦引いた振りをして本当に困ったときに再度現れて
手を差し伸べるらしい。


メトセラ娘は、不死である自分一人でも生きていくのが難しいのに、自分よりもはるかに
儚い筈の外の世界に住む人間があたかも自分一人で生きているような態度をとるのに
違和感を感じているらしい。
どう説明しようか、かなり悩むところであるが、上白沢にとりあえず概要を伝えた。


毎日何を食べるか選択できるほど豊かであること。
最低限の暮らしが保証されていることである。
幻想郷にはその二つがない。 
上白沢はそこまで話した地点で合点がいったようだ。 隙間妖怪が外の世界の人間が
精神的に貧しいと談じていた理由がなんとなくわかったと話していた。


上白沢に言わせると「衣食足りて礼節を知る」という諺があるが、衣食足りている理由を
理解できていないことがそのような考えに至る原因だという。
幻想郷では衣食も不足しているから、互いに補わないといけない。
助け合うためにはお互いの関係を良好にしなくてはいけない。
それが礼節を弁えることだというのである。
もちろん衣食は極端に不足しても奪い合いの餓鬼道に落ちるし、
衣食も足りた貴族たちは家柄や誇りによる行動の抑制が存在する。


試しに幻想郷で、お米が無くなったから分けてくれと頼むとどういう反応が来るか
とりあえず今日を凌げるくらいの食べ物は分けて貰えるだろう。
現代の世の中で同じようなことをしても、食べ物の施しを受けることは、よほど
親しい間柄でなければ難しいのではないだろうか。


私は個人的に「価値観の多様化」という言葉に違和感を感じていたが
それもそのはず助け合いから生み出されるコミュニティ維持のための統一見解こそが
価値観なのである。 その枠の中で自分の役割を主張することが「己の価値観」なのだろう。


上白沢の話を聞いたメトセラ娘は、「普通に生きながらにして蓬莱の薬を飲んだような価値観だ」と
苦笑していたそうだ。彼女には彼女なりの想いがあるのかもしれない。