幻想郷に住んでいる人たちに会社で使う伝票の起票方法や商売の慣例を教える。
複写カーボン紙に驚くところから始まり、いろいろなことを一から教えなければならず難儀する。
毎年やっていることではあるが、ボールペンのインクが無くなっただけでも大騒ぎするので
とても疲れることである。
うちの会社では外の世界だけでなく幻想郷に住む妖怪や人間も雇用している。
北白河の話では幻想郷に住む人間を雇用すると教育費用は外の世界にいる人と比べると倍近くかかるそうだ。
商売のルールも違うし、何より文明の利器の使い方を一から説明するのが面倒だからである。
それでも幻想郷の人々を雇う理由は「社会的責任」であるようだ。
そもそも幻想郷に物資を運ぶだけなら企業体である必要はない。
ボランティアまがいの活動をして、一方的に物を運んでいればよい。
だが、実際に幻想郷のことを考えれば、企業体である方が良いという。
企業には雇用を創出して得た利益を分配する機能がある。
これにより人々が生活するために必要なお金を幻想郷に流通させることができる。
また、多くの利益を得たのならそれなりの社会的活動もしないといけない。
例えば博麗神社の維持費を払うのもその一環だ。
お賽銭がほとんどなくても博麗の巫女が食うに困らないのは、企業や商店の経済的支援が
あるからに他ならない。
そしてもう一つ重要なことは、そこに在籍している人々を教育することができる点だという。
幻想郷の外にある技術や理論、社会的ノウハウをより自然な形で伝えることができる。
こうしたことは学問で伝えるよりもより実践的に覚えた方が遙かに効果が高い。
このように企業体になるだけでただ単純に幻想郷に物資を運ぶよりも
もっと大きな効果を上げることができるわけだ。
これでも昔に比べたらだいぶマシになったというのは、玄爺の談である。
今はビアガーデンで商売をしている甘粕氏が居たときは、制服の着方を教えるだけでも一苦労だったそうだ。
ジッパーの概念が彼らになかったからである。
今ではベルクロを使うなどできるだけ簡略化していたのだが、幻想郷に住む少女妖怪たちが
着替えに四苦八苦しているのを見るのはたぶん相当目の保養になったのではないだろうか。
それとなく聞いてみたら、最初の半刻だけだと言っていた。
何でも途中で妖怪たちがイライラし始めて酷いカオスに陥るそうだ。
今では上白沢の塾などでだいぶマシになったそうである。
今でさえでもかなり酷い状態なのにこれ以上酷いとなったら一体どういうことなのだろうか。
先人達の努力を考えると頭が下がる一日であった。