□月 ●日  No1115 巫女故に


久々に閻魔様の顔をみた。 普段と違って、憔悴しきった顔をしている。
ボスがたまたま出かけているそうなので、愚痴聞きをする羽目になった。
朝倉が速攻隠れたのには参った。


なんでも、博麗神社で葬式をきちんとやっていないことが判明したらしい。
死神小町が、神社では葬式なんてしないと言っていたのでおかしいと思って問いただしたら
巫女が葬式の仕事を実質断っているらしいことが判明した。


葬式というのは幾つかの意味合いがある。
一つは、死者に閻魔様へのルートを指し示す作業である。
たとえば三途の川の渡し賃の算出方法は、葬式に来た人数で計算できることになっている。
要するに財布の金全部を渡せばよいのだが、算出基準がわかればそれだけすぐに渡し賃を
渡すことができるという次第である。
そしてもっと大切なことは、遺族に人が亡くなったことをきちんと認識させることである。
想いが極端に強いと、死者を現世に縛り付ける原因となってしまう。


ところが、博麗の巫女の場合。
私と同様に死後の世界を垣間見ているため、直接的に説得、実力行使に出た方がいいと
アドバイスしてしまうらしい。
それが出来ないから拝んで貰っているというのに、断っているのだからたまらない。
信仰を集めるときにも葬式をしないのはマイナスだ。
葬式は大きな収入源だからである。

 
流石に看過するわけにもいかずに博麗神社に乗り込んだところ。
今度は御利益目当ての人間たちが押し寄せてきて
閻魔様を押しつぶしてしまったという。
そういうことがあるので巫女業の中に葬式業務があるのだが。
なぜ、面倒くさがるのかと尋ねると、畳の配置変更が面倒だと言われて、
小言を言う元気まで失せたらしい。


こういうタイプは話をするだけで既に本人の心の中では結論は出ている。
否定したら大変な目に遭うから、あくまで否定しないで心の中でツッコミを入れることに
徹するのである。


粗方話をしたところでボスが戻ってきたので替わって貰うことにした。
また同じ事を話すに違いない。
しかし、私は巫女が断る理由が何となく理解できるような気がしている。
彼女は直接的に力を行使できすぎるのだ。
元々は気休め程度の願掛けなのに実効性を伴ってしまえば、その効力について
色々問題が出るのは当然のことなのである。
だから最初から断った方がいいのだ。


それが一体誰の入れ知恵なのか、何となく想像はつく。
博麗の巫女は博麗の巫女であるが故に不自由であると言わざるを得ない。