□月 ●日  No656 行程と結果


閻魔様のところへ阿礼乙女からの資料を送る。 普段は明羅女史がやっている仕事なのだが
季節代わりのせいで風邪を引いたらしい。 阿礼乙女にうつしたらどうするつもりなのだろう。
最近三途の川が顔パスで困る。 よく幻想郷の人間を間違えられない物だと思っていたが
死神の間ではきちんと見分ける手段があるようだ。


閻魔様のところでは数人の死者を裁定中であった。珍しく仕事が続いているらしい。
そこで不思議なやりとりを耳にした。
一人は盗みをやった者 もう一人は一見まっとうな人生を歩んだもの。
前者は地獄へ行って後者は冥界へいけるものと思いきや、
なんと逆であった。


仕事を終わらせた閻魔様にその辺の話を聞いたら、盗み聞きを咎められたが
面白い話を聞かせてもらった。
閻魔様の裁定は、結果ではなくプロセスを考慮したものであるというのである。


閻魔様の話によると「結果」は確かにプロセスの積み重ねではあるが、
そこには「運」が大きく作用するのだという。
「運」がない場合はいくら努力しても結果は残らない。
米帝の発明家が1%の閃きと99%の努力と言っていたが、どちらかが欠けても物事を
成し遂げられないというわけだ。


だが結果と違ってプロセスは誤魔化しようがない。
だからこそ閻魔様の裁定はプロセスを重視するのだという。
まさか判断基準を教えて貰えるとは思えなかったので意外であったが
確かにこの基準なら自分の今までの積み重ねであるから、知っても知らなくても同じと
言えるだろう。人は指摘されてすぐに自分を変えることができれば苦労はないからだ。
そこには大きなエネルギーが必要となる。


妖怪たちの思想もそうしたプロセスを重視する考えなのだという。
博麗の巫女が月に行くときもそうだ。 月に行く行程を楽しむよりは
計画を立てることこそが楽しみの対象だったような気がする。
そういえばボスも、結果よりはプロセスを重視するタイプだったことを思い出した。
たぶんお互いに影響し合っていたのだろうか。


あとで明羅女史が風邪を引いた阿礼乙女を夜通し看病していたと聞いて
閻魔様が仰ったことがなんとなく実感できたような気がした。