□月 ●日  No2353 餓鬼道の記憶


八雲商事が立ち上がる時、一番問題となったのは特定の妖怪がそこにいる住民の生殺与奪権を持つことになるのではないかと
いう危惧であった。戦国時代羽柴秀吉鳥取城を攻略した時に起こった事件を記憶している妖怪が何人かいたからと言われる。


鳥取城は自然の要塞だった。落とすにはとてつもない時間がかかると言われていた。
羽柴秀吉は幾つかの失策ののち、鳥取城を包囲し食糧を枯渇させる作戦に打って出た。
秀吉はかねてより食糧を倍の価格で買い込んでいたため、鳥取城の兵糧はほとんど確保できていなかった。
本来なら毛利が食糧を運ぶ手はずだったが、運悪く秀吉の軍勢と接敵してしまったため
失敗に終わってしまったのだった。


その中で起こったことは地獄以外の何物でもない。
食えるものはみな食べられたので、肉食の伝統もない中の人間は、家畜も犬も虫も食べてしまった。
当然これは妖怪たちも例外ではなく、妖怪たちが飢えた人間によって襲われてしまったという
記録が残されている。無機物で出来た妖怪だけがなんとか生き残ったという。
無機物で出来た妖怪もそこで生まれたどす黒い情念を食べるのは憚られたほど
中の状態は酷かった。
付喪神はうっかり足でも出そうものなら襲われてしまう結果となった。
木の皮ははぎとられて食べられたという。


その中でも特にひどいのはやはり人間同士の共食いだろう。
外に出ようとした人間が羽柴の軍勢に銃撃されるや、まだ息があるのに
その体を解体して食べてしまう者が現れたと言う。
この模様は時の天狗たちにより広く紹介されたと言う。


このような記憶があるため幻想郷の分離と言うのは段階的に、そして特定の妖怪に頼ることの
ないように行われたのである。
その後解放された人間たちは、粥を食べたと言うが、食べすぎた人間の半数が
胃痙攣で亡くなったと言う。