□月 ●日  No2543 はじまり


幻想郷が生まれた理由を食糧事情から推察する資料が見つかったので軽く紹介


室町時代 基本的に小競り合いが絶えず割とどうでもよい理由で殺人が行われていた。
この時代「喧嘩両成敗」という言葉が生まれたが、これは復讐に次ぐ復讐で収拾がつかなかった
という事情がある。妖怪は割とこの状況に乗じることが可能だったといえる。


しかし、江戸時代になり天下泰平になると色々な部分で妖怪たちの事情が変わることになった。
大きな変動は人間の往来が増えたと言うことだ。遠野のような宿場町などでは妖怪の目撃証言が
集約されることになる。妖怪たちの存在が認知されることになったが喜んでいる場合でもなかった。
この時期、植物資源は徹底的に利用されており、いたるところが禿山になった。
住まいを追われた森の住民たちは人間の里に降りてくるようになった。


その中に妖怪の姿を見出した時の将軍は妖怪の保護政策を実施したが、その時機発生した
飢饉の被害範囲を広げる結果になった。しかし公衆衛生のためには必要なことでもあった。
当時野犬は人間を襲い、備蓄食料を荒らして回っていたからだ。
複数の飢饉が訪れるたびに妖怪は食糧を得ていた。何しろ人間が人肉を食べるような事態である。
妖怪が人間を襲って人肉を奪っても変な話目立たないと言うほど酷いありさまだった。
この原因は農本主義を採用しておきながらコメを中心に考えすぎたと言うことだったと言えるだろう。
以後、当時の幕府は食糧問題とインフレーションに悩まされることになる。


明治時代になると、この状況が大きく変わる。
食糧が輸入可能になり大凶作になった時に政府備蓄米の供給が可能になった。
これは移動手段の革命によるものである。
大量輸送が可能になった時、飢饉に乗じて人間を襲う妖怪たちの居場所がなくなってしまった。
しかも、この時期神仏合祀制度がスタート、もともと妖怪たちの住処を海外の宗教勢から
守る仕組みだったが、それが神木などの伐採を招くことになった。
ここにきて幻想郷待望論が出現したのである。


大量輸送は幻想郷を完全隔離しても食糧難を回避することが可能であることを示した。
明治という世は妖怪の住処を奪ったが同時に幻想郷システムを可能にしたのである。
これが幻想の世界の成り立ちと言えるのではないか。


ここで資料はしめられていた。