□月 ●日  No2379 修羅の国


皆様方、なぜ博麗の巫女というのがいると思うでしょうか。これには歴史的理由があるのですよ。
明治になる前の幕府の時代というのは、天下泰平の時代と言われまして、なぜそんな言われ方を
したかと言いますとですね、これまでの世界がとっても酷い世界であったからであるのですよ。
妖怪たちはそういう世界の中から生まれたと言っても過言ではないし、今でもこの時代の
気質を色濃く受けついた妖怪も相当いるのでありますよ。


何しろ食糧難で、満足な統治機構がないとどうなるのかというと、当然のごとく
その世界が修羅の国みたいな代物になるのですよ。よく喧嘩両成敗って言葉がありますが
あれは道徳の話じゃなくて、復讐が復讐を呼ぶから同じように罰して仲裁しようぜって
意味なんですよこれがまた。
そんな価値観は天下泰平の世になるまで続いたわけですよ。妖怪たちも人間も疲弊していたから
ここで手打ちとなったわけですよ。近代明治政府になったとき、妖怪たちが真っ先におそれたのは
修羅の国に戻ることだったってくらいですよ。


これは幻想郷が分離した時も同様だったわけですよ。
人間たちが襲い掛かってくるのではないかって疑心暗鬼は相当にあったのですよ。
だから人間が襲ってくるような状態を防ぐためにはどうするかって、妖怪たちは当時の幕府や
ほかの国の統治機構をさんざん研究したわけですよ。
んで出来上がったのがお上に当たる博麗の巫女と言われる存在と、食い物を絶やさないという
仕組みだったわけですよ。もっとも博麗の巫女が誰かだなんて幻想郷の住民全員が
知っているってわけでもないらしいんですけどね。


人間が暴徒化する、沸点が低くてしばしば小競り合いを繰り返す。
いのちの価値がやたら低いから、妖怪たちはしばしば下人を匿ったり
一方で死んだ人間の処分をしたりしていたのですよ。
幻想郷の計画が立ち上がったとき、幻想郷に面倒なやつらが入り込んでそいつを封じると言う
側面は確かにあるのだけど、面倒なのは妖怪より人間でありまして、そいつらを
生かすために金が投入されているというのが真実でありますよ。


こう考えると幻想郷の誕生には実に多くの人たちの目論見と事情が重なって
その交点にあるのだなと思えるわけですわ。
いろいろ面倒なはなしなんですよ。