◎月 ■日  No 139 恐れるべきは精神の死


幻想郷とは常に死と隣り合わせである。 
これは危険度を指すのではなく身近に死に関係することが転がっているという意味である。
死を理解すること。 それは人格形成に大きな意味を持つ。
死が自分にも降りかかり不可避なものとわかった時、人間は死に対する畏れから、
死生観を生み出した。 これが幻想郷を維持する原動力の一部になっている。


妖怪たちはどうなのか? 妖怪たちは概ね寿命が長いとされる。
妖精の類は数年程度とも言われるが、隙間妖怪ともなればもはや測定不能である。
彼女たちが自分の人格を維持するのは並大抵の努力ではすまないらしく
すでに人格形成部分に若干の支障が生じている妖怪もいる。


人格形成が崩壊すると「意味消失状態」に陥る。 光陰に移された魂が溶けてしまうように
妖怪も自然の中に溶けて無くなってしまうといわれる。
これを回避する方法はスタンドアロン状態を絶つことである。 
これまで人間と妖怪という関係から妖怪同士の関係へシフトすることで存在を相互補完するのだ。
そして妖怪に活を入れるコアが博麗の巫女なのではないかと考えるようになった。
すると、大きなリスクを背負う異変を発生させやすくするシステムや
決闘ごっこというシステムも非常に合理的かつ効率的である。
すべては妖怪同士が出会う機会をつくるためであるという。


阿礼乙女が意味消失を免れているのは何故だろうか? それは彼女の特異な体質と
性格にありそうだ。 彼女は記憶の多くが失われると言っているが。
私は聞いた。 「昔、羊羹おごるっていったよね」と。