□月 ○日  No524 幻想の世界のお年玉


寒空が身にしみる朝。
仕事始めの現地法人で河童たちと一緒に鍋を作ることになった。
幻想郷では困ったことに淡水魚しか取れない。
魚料理を食べたい場合は泥抜きをきちんとしないと食べられない。
内蔵を食べるなんてもってのほかである。生臭くて食べられたものではない。


さし当たって必要な食料などを納品する。
永遠亭に餅米を納入したら、つきたての餅を貰った。
何でもお年玉らしい。 お年玉を貰う年齢ではないと思うのだが
目上の人が目下の人にあげる物と言われて成る程と感じ入る。
その場では食べずに鑑識に回したら向精神薬が検出されてぞっとする。
兎どもにもそんなものを食べているのだろうか。


例の神社に行ったらケロちゃん帽のカミ様が満面の笑みで「くれ」の
ジェスチャーをしている。お年玉をくれと言いたいらしい。
さすがに永遠亭の餅はあげられないので胃薬をあげた。


幻想郷でもお年玉は存在する。 ただし幻想郷におけるお年玉は必ずしも
金銭である必要はない。 たとえば先程のお餅だったり丸薬をあげたりするのが
習わしとなっている。
厄神様の話によれば、祟りから身を守るためのお守りとしての意味合いもあるらしい。
謂われが力を発揮する幻想郷において、子供を護るための生活の知恵といったところだろうか。


自称現人神は上白沢の塾で学童達にお年玉をあげているらしい。
神社のおねえさんの加護がついているというが、単にお年玉にかこつけて
ちゃっかり信仰を集めようとする下心が見え隠れしていて苦笑するほかない。
しかもそのお年玉の財源は当然うちの会社だったりする。
ここまで来ると笑うしかない。


ところがケロちゃん帽のカミ様に言わせると、お年玉の玉とは「魂」の「タマ」だと言う。
つまり、うちの会社で援助している物資をお供え物とするならば
それを分け与え、年神様の加護を振りまくことこそお年玉だと言うのである。
成る程、自称現人神の行動はお年玉の意味合いを考えれば至極合理的だったわけである。
何か一つ利口になった気がして有意義に思えた一日だった。