□月 ●日  No973 産の忌み


普段あまり使われていないと言われる小屋に生活用品一式を運んでおく。
と、言っても中は清掃が行き届いており、いつでも人が住めるようにスタンバイされている。
顕界における公会堂の類にも似ているとも言える。


とりあえず検品が必要なので暫く待っていると、おばさんたちがぞろぞろとやって来た。
思い思いの荷物を持っており、一種遠足にでも行くような雰囲気である。
生活用品一式を早速見て貰い、しばらくの間談笑する。
彼女たちはなにをしているのか? 
実は彼女たちは助産婦さんたちである。 今日も仕事を終わらせて、しばらくの間ここで休んでいるのだ。
出産に立ち会った人には「産の忌み」と呼ばれ穢れた存在とされているためここに隔離されているというわけだ。


人が生まれる瞬間に立ち会うことは誰が見てもハレの舞台だと思っていただけにこれは意外である。
出産の時に血と関わるからとおばさんたちは言っていた。 これから巫女当たりを呼んで形式的ではあるが
禊をやれば、あとは適当に解散である、通常はすぐに解散せず一晩くらい呑んで食べてしてから帰ることになる。
今日運んだのはそのための物だ。


「産の忌み」と言われると蓬莱の薬を思い出す。 あの薬は穢れを防ぐための一つの結論ではないかと思う。
考えてみれば、穢れに煩い月の民に至っては子孫を増やすこと自体を否定する向きすらある。
もしかすると人が生まれる事そのもの、生きることそのものが穢れなのではないかとすら思う。


次に納品した河童にその辺のところを話したら、「なんと目出度い奴だ」と馬鹿にされてしまった。
ひとつヒントを貰った「その子供が望まれていない存在だったりしたらどうなるのか」


しばし黙考して、はっとした。


たしかに彼女たちは生の瞬間に立ち寄る存在である。
だが、同時に幻想郷ではもう一つのことを想定しないといけない。 それは間引きである。
また、赤子に先天的な異常が遭った場合も同様である。
母胎保護のために、胎内にいるときに堕胎を行うより生んでから<処分>した方よいというのが一般的である。
すなわち彼女たちは生の瞬間に立ち寄るだけの存在ではなく、いざとなれば死の瞬間にも立ち寄る存在なのだ。


河童はうすら笑みを浮かべながら頷いて見せた。
「我々も共同体からNOが出た子供までは追求しない」とだけ言われた。


お陰でこっちは足取りが重い。
幻想郷で仕事をしているとこうしたシビアな場面に出くわしてしまう時がある。
数時間もあれば気持ちを切り替えられるとはいえ、流石に今日の出来事はきついものがある。