□月 ●日  No2344 見える世界


ハッキリ言って幻想郷ほど宗教に染めにくい場所はないと言わざるを得ない。
宗教のだいご味は自分の運命が形而上的なにかによって決められていることであるが
その形而上的なにかが可視化できる状況であり、片っ端から形而下的な状態になっているのが
なんとも言えない気持ちになる。


無間地獄などはある程度可視化されているからだいたいやることは解っているし
むしろ地獄のほうが住みやすいといって住民になる連中もいることを考えると
むべなるかなと思う次第。


もっと困るのが救済のプロセスも可視化されているという部分である。
なので特定の宗教を守れば救われるという基本的シナリオが通用しない。
これはかなり厳しい事態だ。
実のところ幻想郷で特定の信教が根付かないのは全て可視化のためであり
幻想郷住民のとるべき道は基本的になるようになる。 なるに任せるとなる。
ええじゃないか運動が起こってもそれはそれで不思議ではない。


こんな状態で宗教によって救いというのはナンセンスである。
こう考えてみると特定の厄介なカリスマを幻想郷にもっていくだけで
容易に影響力を制限できるのだなと思う。
幻想郷はその点でもよくできているのだなと思う次第である。


まっぴらごめんだけどね。