□月 ●日  No4704 すごい人かもしれない

 博麗の巫女というのは一種の求道者であると人は言う。
 まあ、実態を見たらそうじゃないことは一目瞭然。
 とても適当にやってるし、求道的だったらさっさと命を落とすこと請け合いだ。
 彼女が生き残っているのはそういうことだ。適当である。
 これにつきる。

 適当であるから仲間を平気で行使するし、妖怪だろうがなんだろうが
 使えればどんどん使ってくることができる。
 この柔軟性は先代にはなかった発想であることはすでに述べた通り。
 彼女たちは使役することはあったが妖怪を全力で利用することは
 なかっただろう。まあ利用というのも少々違う。
 妖怪変化は理に聡く人間の嘘はすぐに感化できてしまうからだ。

 そんなわけで博麗の巫女というのは裏表がほとんどないほうがいい
 ということを思い知らされるわけである。
 まあ我々にとってはろくでもないことは間違いないのだ。